平成21年6月18日(木) 北海学園大学 1号館 33番教室で 記念講演を行いました サハリン州郷土博物館 ローン館長 「サハリン州郷土博物館の研究活動」 サハリン州郷土博物館 キーラ資料部長 「サハリン州郷土博物館の収蔵資料について」 |
|||
1号館の前には、今日の案内がありました | 北海学園大学朝倉学長と会談 | 教室の準備 | 藤村名誉教授が司会です |
学長からご挨拶をいただきました | ローン館長 | キーラ資料部長 | 質問者 |
(財)北海道北方博物館交流協会 舟山理事長 |
講演終わって花束をいただきました | ||
北海学園大学学芸員課程開講10周年・北海道北方博物館交流協会25年記念講演 講演録 2009.06.18 翻訳:ユーリヤ 編集:亀谷 隆 転記:関川修司 |
|||
『サハリン博物館21世紀』 ロシア・サハリン州郷土博物館 館長 タチヤーナ・ベトローヴナ・ローン ユジノサハリンスタ市にあるサハリン州郷土樽物館は、サハリン州の指導的、科学研究 的、啓蒙的な文化施設のひとつであります。博物館は、サハリンとクリル諸島の過去と現在を裏付ける興味深く珍しいコレクションを所蔵しています。 ●歴史について サハリン博物館は1896年、島の北部にあるアレタサンドリアサハリンスキー港で、サハリン徒刑管理活動家によって形成されました。 最初に建てられ博物館では、考古学、地質学、動物学、植物学などのコレクションが収集、保管されていました。 政治的な追放者のレフ・シュチリベルクと徒刑因のプロンシラーフ・ピスドスキーもまた、博物館のために、貴重な原住民文化のコレクションを収集しました。彼らの貢献は今日において、サハリンと極東の歴史と民族学研究での重要な資料として認められています。 博物館の歩みは複雑なものでした。20世紀初期、最初の博物館のコレクションは不解決な事情で不返還な状態で失われました。その記録は、古文書保管所に残された世界の様々古写真と、革命前に出版された『サハリン・カレンダー1937年』であり、当時の博物館を知ることができます。 ソ連時代のサハリン・アレクサンドロフスク市管理局は1932年に、州民や市民のために10月革命15周年を記念してサハリン州郷土博物館を開館しました。 開館により、博物館を運営する資金が用意され、原住民の歴史や文化を伝える新たなコレクションが増加しはじめました。 東サハリンのカラフト(樺太)地区でもまた、トヨハラ(豊原)市において博物館が創設されました。1937年にはソハリン州郷土博物飴の建物が新しく建設されました。 博物賠にはアイヌ、ウイルタ、エペンキ族の文化が、そして古生物学、植物学、考古学などのコレクションが展示されました。 博物館の歴史が新たな歩みとなったのは、第二次世界大戦以後の時代であり、1946年、かつて日本の博物館は、サハリン州郷土博物館として新に開館しました。 その後、1950年代の初期には、博物館にアレクサンドロフスク博物館のコレクションが収成されるようになりました。 また、博物館にはそれまで日本人によって収集、調査研究されコレクションの一部も収蔵保管されていましたが、記録書類が残されていませんでした。 こうして、サハリン州郷土博物館は、新たに開館する以前からのサハリン島にあった博物館の総てのコレクションを引継ぐ、後任者となり保管者にもなりました。 現在、博物館には、18万点以上のコレクションを所蔵し、継続的コレクションを補充しています。 ●新らしいプロジェクトについて 博物館の活動は、ロシアの様々な民族の文化遺産で構成されているコレクションと展示品の保管と展覧会、さらに情報収集と友好関係によって、博物館を発展させることを目的とし、住民に対して学問の普及をすることにあります。 現在、学問を習得している若者やユジノサハリンスク市、そして、サハリン州の住民やロシア国内外の観光客を含む7万人以上の観覧者が博物館を訪れています。 21世紀初期、博物館は長期発展プロジェクトを実現することにしました。プロジェクトは多段階式で、館内と周囲の環境の整備、新たな展示の構成、野外博物館とサハリン植物園の建設など、博物館関連施設の近代化を計画しています。 プロジェクトの主なアイディアは、新しく現代的な素材と技術を用いた建築家の発想によって、周囲の環境の整備しつつ、現在博物館の建物と新しい空間デザインでの建物との融合であります。 ・発展プロジェクトの一帯:建物の修復・周囲の整備改善 現在の博物館は、本館と事務所との2つの建物に分かれています。 博物館の建物は、サハリン州だけでなく、世界の歴史的、建造的文化遺産として も記念物で、プロジェクトでの重要な計画の一つとして、建物の復興と修理をする ことです。 博物館の建物設計者・貝塚良雄は、樺太庁建設課の職員で建築家で、建物は帝冠様式でデザインされ、中世的な形で、中央は日本の城のように高くなっています。 建物が建築されていた1935〜1937年には、鉄筋コンクリートや鋳造による装飾な ど当時としては最新な技術が用いられていました。 正面の装飾には様々な材料が使われました。地下の床は天然石での敷石、1階と2階は陶磁板での床で、3階はコンクリートと金属で装飾した床であります。 また、内部インテリアは、襖(ふすま)、梁(はり)といった日本の伝統的な建築様式が採用されています。 ホールの天井は、木で作られた曲線の支えの格子天井で、最上階のホールの天井には、天窓が装備され、1階にはガラス窓が装備されています。 復興プロジェクトは、ヴォロージェン市とサンクトロ・ペテルブルグ市の修復者によって、2004〜2005年に計画され、すでに、正面の衣装と瓦屋椴は修復されました。修復を請負った会社は、サハリンの3つの会社と函館の1つの会社であります。 修復に必要な資金の融資は、サハリン州と、日本の万博記念横構(エキスボ70)からのであります。 観覧者のために復元された広場の中央部分は、日本人の建築家によるプロジェクトによって、サハリンに自生する高山植物を中心とした丘であります。 博物館内部の展示には新たなコレクションも加えられ、ポリス・ピロスドスキー像など歴史的な資料や日露戦争時代に使われた武器、そして1930年代に使われたヴィオリオン(ハーブを横にした形の楽器)、野外博物館、修復された北部先住民の住居、サハリン州の植物コレクションなどであります。 ・発展プロジェクトの一部:新な展示計画 プロジェクの基本は、博物館内部の整備で、展示内容の改訂や設備の更新を新な技術を採用することにしています。 2階の新しい展示室には、すでに19世紀後半のサハリン徒刑の歴史と、20世紀中 頃のサハリン州の歴史に関するコレクションが展示されています。 この展示は、モスクワのデザイナーによって芸術的思想のもとで2005〜2006年に 整備されました。 博物館での新しい展示室は「サハリンとクリル諸島の自然史と民族による文化遺産」を展示し、古代における諸島や、東海岸の地質的な成立から今日までの長い時代の歩みを示しています。 この展示室では、観覧者が快適に観覧してもらうためコレクションの他、メディア・システムや写真、そしてビデオ資料も用意しました。 今、現在、私たちはソ連時代に事務室であった地下の修復と整備が完成しつつ有り、同時に展覧会や講義などに使える空間も整備されます。 ●学術研究 博物館には、学術研究課があります。 課には、コレクションの保管、歴史、自然、学術啓蒙、博物館経営と発展、考古学 研究、ポリス・ピルスドスキー遺産短期大学の係りがあり、20人の学芸員が勤務しております。 その内4人は学芸員候補者で、2人はロシア連邦文化名誉研究家賞、サハリン州文化名誉研究家賞を受賞しています。 学芸員らはコレクションの収集と膨大な学術研究を仕事としてこなしています。 考古学や歴史学、昆虫学の学芸員らは、毎年、サハリン州地域の文化財史を調査する野外研究と、学術探検を行なっています。なかでも考古学の調査は、地域内の工業開発に伴っての発掘調査を行なっており、新しいコレクションが発見されると思っています。 近年、博物館の学芸員によって、島の北東部から新石器時代の遺跡が発見されました。その新石器時代の文化の源は、レナ川地方のヤクーツク、アルダナ、アムールの古代文化にあります。また、サハリンの北部では、初めて木で作られた楔(くさび)の細胞核が発見されました。その年代は、紀元前9,000年のモンゴル古代文化に類似しており、つながりが関係が深いといえます。 博物館は、ロシア科学アカデミー、ワシントン州大学(USA)と北海道の幾つかの公共機関や施設のパートナーと共同で、「国際クリル総体バイオ・プロジェクト」(2006〜2008)に参加しました。 このようなプロジェクトを通じ、サハリン州郷土博物館は世界中の博物館や学術研究施設の研究者と学術的、文化的な友好関係を保っており、1990〜2009年の15年にわたり、私たちは北海道開拓記念館との学術と文化の共同研究調印を結んでいます。 その調印は、隣の地域としての学問と文化の交流のためと、お互いの文化を理解する心を深めるためであります。 ネーデルランド(オランダ)と日本と共同の国際プロジェクト「タイガとツンドラの声」も順調に進んでいます。このプロジェクトの目的は、サハリン原住民の民間伝承の資料と、資料化されていない北の民族の文化遺産収集と組織化、そして出版であ ります。 博物館は極東や、他のロシア国内の博物館と友好関係を保ち、ロシア連邦博物館協会に入会しており、極東の博物館とと共に展覧会やコンテストなどで活動の成果を発表しております。 今年、モスクワで行なわれた全ロシア連邦フェスティバルエ「インターミュージアム2009」では、ロシア博物館(3,000館中)ベスト・スリーにサハリン州郷土博物館の「ミュージアム・プロジェクト」が選ばれました。 ●来館者のための博物館 博物館のコレクションでの展示は、観覧者にサハリン州地域の自然の特徴や歴史、 古代文化とサハリンとクリルの過去を紹介しています。 主な部門は「サハリン州とその周辺にある海の風景記録と様々な生物研究」「サハ リンとクリル諸島の考古学的文化、東アジア民族、ロシア人、東ヨーロッパの探検家(17〜19世紀)による諸島の発見と開拓の歴史」「極東諸島の植民地化(19世紀)」「サハリンの徒刑と追放」「サハリン・アポリジニの伝統的文化(19〜20世紀)初期」「20世紀のサハリン史の特徴」「サハリン韓国人の歴史」であります。 博物館は観覧者のために、ツアーや講義、対話会、交流会、スライド・デモンストレーションやビデオのタベ、子供や若者のための教育企画などの様々なイベントや特別な企画を用意しています。 とくに博物館での幼児と小学生のためのサークル「若き郷土研究家」と、中高生のための課外活動「ミュージアム博物学」は人気があります。講義の範囲には「サハリンとクリル諸島の自然史」が含まれており、博物館で講義をするのは、サハリンの学院や大学の研究者、海外からの調査員、来館者に島と大陸の難解な自然のしくみを説明するなどの活動をする専門家であります。 ●博物館の出版 博物館は周期的に、ロシア国内外の博物館の研究者、学者、郷土史研究家が積極的に綴った報告などを図書として刊行しています。 これらの記事は、サハリン州郷土博物館の情報誌とポロニスラブ・ピルスドスキー学院情報誌の主な内容となっており、ここ数年では、博物館が誇る研究論文と研究者の本が出版されています。 博物館研究の情報や新な研究成果の情報は、博物館出版物、国内外の雑誌、博物館のホームページで紹介、発表されています。 博物館のユニークなところは、様々な時代、東と西の文化習慣、過去と現在の文化習慣の合同、未来への必然的志向ではないかと思います。 講師略歴 タチヤーナ・ベトローヴナ・ローン 1961年・サハリン州に生まれる。 1986年・国立レニングラード大学を卒業。民族学・人類学講座でルドルフ・イゥス教授のもとで学ぶ。 1988年・サハリン州郷土博物館に勤務し、主任学芸負、歴史・民族学課長を歴任。 1998年・研究活動分野の副館長。 サハリン及び極東地域南部の先住民族を研究。 1997年・ビョートル大帝記念人類学博物館より歴史修士号を取得。 2003年・サハリン州郷土博物館館長となる。 |
|||
「サハリン州郷土博物館コレクションの芸術品」 ロシア・サハリン州郷土博物館 資料部長 キーラ・ヤコヴリェヴナ・チェリパコーワ 1946年4月、旧日本国樺太庁博物館はサハリン州郷土博物館として開館しました。 開館した博物館の資料の一部として絵画、デッサン、彫刻などの造形美術品があり、1947先には12人による 「画家共同組台」が組織されました。その主宰者はポリース・ギェンナドピッチ・ショフナザーロフで、彼の作品はサハリン州郷土博物館の最初の美術コレクションとなりました。 現在、所蔵しているコレクションは、1.1950〜1960年代におけるソ連のアーチストの作品。 2.1960年代の海外からの作品と中華人民共和国の作品。 3.サハリンの画家や彫刻家による作品で、138点の絵画、400点近いデッザン、100点以上の彫刻が保存されています。 1.1950〜1960年代におけるソ連のアーチストの作品 初期のコレクションは、B.シヤフナザーロフの静物画、P.ボゴーデインの風俗画で、B.シヤハザーロフ は、1958年にサハリン州芸術管理局から「オットセイの岸」という作品の制作を依頼され、作品はモスク ワで開催された全ロシアでの展覧会に出品されました。その作品は高く評価され、トレチャコフ美術館に よって買上げられました。 また、P.ボゴーデインが描いた「チエーホフとサハリン」は、多くの人々にチエーホフの魅力を伝えてい ます。 アントン・パブロビッチ・チエーホフは1890年にサハリンを訪れ、信じがたい冒険やドラマに出会いました 。そのチエーホフは、作家でいながらサハリンの人口を記録しました。その記嶽は2005年にサハリン出版 社より「私の数字も必要となるかも知れない」 という題で出版されました。 出版する以前の1987年に、チエーホフが残した資料を整理していた博物館の女性職員が、ロシアの文 豪F・ドフトエスキーに関する挿画を担当したレニングラードに住む、オレーグ・ヤーヒンの協力を得て、チ エーホフの肖像画を遺すことが出来ました。 また、博物館が所蔵するデッサン関係のコレクションでは、セルゲイ・ミハイロビッチとセルゲイ・セルゲ エビッチ・チエーホフのリノリュウム版画(凸版画)が保管されています。 1963年、エストニア出身でソ連で有名な画家の一人であったA・ベタサがサハリンを訪れ、サハリンの 自然や建築、人びとの心の豊かさに魅了されました。 なかでも、A・ベクサは日本建築に興味をもちはじめ、多くの油絵を描いた。その作品の一部として博物 館には「ゥナイチャ湖」と「サハリンの小火山にて」があり、博物鮨の依頼で、歴史的場面を主題とした連 作を描きました。 2.1960年代の海外からの作品と中華人民共和国の作品 サハリン州郷土博物鮨のコレクションとしては123点と小数であるが、非常に内容が充実した中華人民 共和国の現代芸術作品が保管されています。 作品にはデッサン、小型の彫刻、19世た後半の装飾美術品で、コレクションの大半は、中国とソ連との 友好訪問時に、中華人民共和国閣僚委員会よりサハリン州管理部へ勝られた作品であります。 それらコレクションには、1959年、黒竜江省労働組合委員会代表が寄贈しました。赤や禄、そして青色 で彩色された花瓶、さらに、同じ年に中国共産覚黒竜江省市委員会がサハリン執行部に寄厳した陶磁器 の花瓶『精細な景色』『鳥と花』といった刺繍での作品も含まれています。 これらの作品は、信頼できる図録によって、中国での優れた作家であることが判明しました。なかでも、 ツイ・パイシ(1860−1957)の優れた技能による2つの絵巻物の複製は、博物鮨の学芸員を驚かせました 。 その後、中国より刺繍画と陶磁器などの装飾品が寄贈され、茶畑で働く女性、中国の賢人や裕福の神 を主題として陶磁器は素晴らしい作品であります。 また、岩石を彩った獅子や少女、龍なども優れており、少女と龍は中国の戯曲を題材とした作品で、舞 台での衣装などの色彩は今でも鮮やかを失っていません。 1958年に、中華人民共和国を訪れたサハリンの観光客の旅行予定に緞通を織る工場の見学がありま した。その時に極彩色に染められた糸で織られた敷物を贈られ、受け取った人は、その肌触りと中国の 伝統図案での装飾の素晴らしさに関心し、帰国してすぐに博物館に寄贈した作品もあります。 1940〜1950年にかけて、ソ連と中華人民共和国での間では世界のプロレタリアート(労働者階級)代 表者やスターリンとレーニンといったソ連の指導者を描くのが重要とされました。これにより博物館にはこ れらのコレクションが保管されることになりました。コレクションは刺繍や陶磁器に、カール・マルクス、フレ ンドリック・エンゲルス、イオシフ・スターリン、ウラジミール・イルイチ・レーニンなどの肖像が表現されてい ます。 3.サハリンの画家や彫刻家による作品多くの絵画コレクションの中でも、特別なのは、日本人画家である 木村捷司の作品である。木村は「アイヌの家」「アイヌの熊祭り」 「熊祭りの酒宴会」「オロツコの家」「山 丹交易」の5つの作品で、この作品は樺太庁博物館の依頼によって1934年に措いており、博物館のホー ルに展示されていました。 サハリンの画家の作品は、我々の歴史や現在の生活においての特徴や、自然の豊かさや厳しさを探 求することへの証明となります。 博物館の記念祭には、グルジア系であるサハリンの有名な画家のキヴィ・マントカヴァより「ュジノサハ リンスク市」−作業3年−という絵が寄勝され、さらに画家ナウム・ゲーニンからは「春の景色」が、そして 、画家アナトーリー・ニーは、歴史人物である東シベリア知事で将軍であったN・ムラビョーヴ・アムルスキ ーの肖像画を、地方議会から依頼され、議会はその作品が博物館に寄贈されました。 ユジノサハリンスク市役所は、最初の市長であったT.P.ファルフットデイーノフ(後サハリン州知事) の50周年記念に、画家A・クリマーノフに描かせた肖像画を博物館に寄贈しました。 この他、画家ティモフエーエフは、古代ギリシャの「シシェフオス」を題材としてその肩にサハリン島を配 置し、最初のソ連解体後の地方知事X・P・フョードロフの肖像画を描き、その作品はヴァレンティン・フョ ードロフによって博物館に寄贈されました。 徒刑を主題として作品の制作を続けた名高い画家は、ギヴィ・マントカヴァ(ウラジミーロブカ)とユーリィ ・ステバーノフ(アレタサンドロフスクサハリンスキー港)でありました。 この2人は、「ロシア連邦名誉画家」の称号の持ち主で、マントカヴァは、サハリン美術館に保管されて いる豊かな作品を残し2005年にこの世を去りました。 博物館のコレクションには2人作品として「故郷の朝」 「黒い太陽」「ユジノサハリンスク市」(1960− 1990)が保管されています。 博物館は1970年〜1980年の間に、サハリンの海洋画家のX.オフチェンコフと絵画制作の契約を結び ました。彼は19世紀から20世紀初期におけるサハリンの歴史と海を主題にした絵画シリーズ「巡洋艦」 「 ノピック」 「スターナ」 「ヴオストーク」「亜庭湾にて」 「サハリンの岸へ」を描きました。その絵画は「サハリ ンと千島列島における発見と研究の歴史」を主題とした展覧会で展示されました。 サハリンと博物館の造形美術に寄与したのは、独創的なサハリンに暮らすサハリン・アポリジニ一画家で あったセルゲイ・グルカ、S.A.ナデインで、近年にハバロフスク地域で開催された展覧会の後、グルカの グラフイク作品は買上げされました。 博物館が保管している彫刻のコレクションには大きい作品は少ないが、主な作品に はサハリン出身 のA.ニーによるソ連の英雄を称えた「A.P.チエーホフの像」、 小型ではあるが「レーニンの像」などが あります。 多くの芸術家は既に私たちの元を去ってしまいましたが、彼らの創作した作品は博物館によって大切に されており、生き続けています。博物館のコレクションは、過ぎた日々の出来事や政治などの事実を物語 る描写としての価値あるだけではなく、むしろロシアにおけるサハリン州の歴史を知るための価値があり 、これらの作品は芸術教育の形成と発達をも証明していると言えます。 講師略歴 キーラ・ヤコヴリェヴナ・チェルバコーワ 1939年・ハバロフスク州ニコラエフスク・ナ・アムーレ市に生まれる. 1952年・母と共にサハリンに移住し、1956年、ユジノサハリンスタ教育大学の歴史・文学学部に入学、卒 業後、ユジノサハリンスク市内で中学校の歴史教師となる. 1967年・中学校での教師を追職し、サハリン州郷土博物館に勤務.旧樺太庁博物館からの資料と、新た に収集された資料の保存と管理を担当し、現在、サハリン州郷土博物館資料部長。 |